七十路日記

日々の思いつき独り言

三つ子の魂

暑い。

台風一過でフェーン現象が起きたそう。


今日の休みも朝から手仕事。


私にまだこんなに気力があるのが不思議。

根気が残っていたいたのが不思議。


縫い物をしながら昔の事を思い出す。


可愛いげの無かった子供時代。

いや大人になってもだ。


昔、TVも無かった頃、

母は仕事が終わって家に居るとき、

編物や縫い物などをしてた。


手編みだったり機械編みだったり、

手縫いだったりミシン縫いだったり。


おかげで私も子供時代から、

かぎ針編みや棒編みだったり、

ミシンの使い方も教わり、

人形の洋服を縫ったりして遊びになった。


すべて母から教わったのだが、

編物の新しい事を教えてもらうと、

母の目の前で、

母の編んだ部分を解いて、

自分で編み直した。


可愛いげの無い奴。


小学生の頃、

折り紙の千羽鶴を折りはじめた。


学校の休み時間にも折った。


友人が、

手伝ってくれた。


それを憶えておいて、

家に帰って友人が折ってくれた分は捨てた。


なんて可愛いげの無い奴。


そんな私の普段を見ていた母は、

中学校の時の家庭科の授業で浴衣を縫うのに、

家に持ち帰って四苦八苦しながら縫っている私に手を貸す事はなかった。


作品を提出し、

評価をもらって持ち帰ってきたら、


母は私の縫った浴衣の不具合な場所を解いて縫い直して、

着られるようにしてくれた。


私はそれが普通だと思っていたが、


私の長女は、

家庭科の課題のスカートを姑に丸投げして、

姑が長女の作品として仕上げた。


ちょっとショックだった。

私がそうだったから本人がやって当然だと思っていた。


私は手伝う気もなかったが、


長女も姑も

それで何の後ろめたさもなかったようだ。


まあね。

生徒の作品なんて、

誰が仕上げようが先生が分かる訳もなし。


人を頼るという事の方が人間関係が上手くいくのかも知れない。


私は未だに可愛いげが無い。


可愛いげの無い年寄りだから、

憎まれっ子世にはばかって、


やっぱり長生きしそうだ。