七十路日記

日々の思いつき独り言

心境の変化

雲ひとつ無い晴れ。

久々に暖かくなりそう。


夫と合った休日は、

夫は喜々として仲間とゴルフに行く。


早朝から昼過ぎまで、

夫の留守が嬉しい。



最近、

労働時間が増えたが、

辛いとは感じなくなった。


疲れて帰って来て、

そのまま昼寝して、

夜も早く寝る。


しかし、

たっぷり時間があっても、

ダラダラと1日を過ごし、

もしかして、

殆どの時間を寝てしまった時を思うと、


強制的に起きている時間があって、

しかもお金ももらえた方がいいではないか。


この仕事に就いて3年が過ぎた。


石の上にも3年とはよく言ったもので、

年老いても、

3年も経てば毎日の繰り返しで、

仕事の手順も身に付く。


人が少なくなって、

何気に頼られるようになって、

やり甲斐さえ出てきた。


老後の資金を貯めたい。


70歳は人生の老後だろうけど、

私には働けなくなった後が老後。


老後は短い方がいい。


資金も少なくて済む。




日々の中で躁と鬱があれば、

今日は躁。


いつもの休みの日は、

夫が10時過ぎに仕事から帰ってきて、

当然のように食事の支度をして、片付けをする。


私にとって中途半端な時間の家事。


それが無いだけでも気持ち晴々だ。

最近思う事

雨が降り出した。


最近思う。


人生100年時代だと言うが、

100年生きる事は幸せか。


私の両親も夫の両親も長寿だった。


父は肺癌で入院し、

母は父の肺癌で入院した事を離れて暮らす私や兄に内緒にしてた。


毎年正月休みに家族で里帰りする兄家族は、

その年に限って家族でスキー旅行に出かけて、

お盆以来里帰りはしてなかったようだ。


2月の初め、

父は誰にも看取られずこの世を去った。

母も病院からの知らせで駆けつけたが間に合わなかったそうだ。


母が混乱してる為、

私が病院から亡くなった知らせを受けて、

初めて父が入院していた事を知った。


私が兄の家に電話で知らせたが、

兄達も入院をしていた事も知らなかった。



舅は肺炎で入院したが、

結核菌が見つかり、


遠くの大きな病院の、

隔離された結核病棟で誰にも看取られず亡くなった。


父の死も舅の死にも立ち会わなかったが、

肺の病気の呼吸できない苦しさは想像できる。


姑は、

私が嫁いだ時から病院通いをしてた。

次から次と病気が発覚し、

薬が切れる事は無かった。


70歳ぐらいから身体が痛いと言い始め、

痛み止めの薬は欠かせなくなった。


膝が痛いとサプリを飲み、

目が遠くなったとサプリを飲み、

耳はサプリと補聴器でしのぎ、

眠れないと眠剤を処方してもらい、

疲れると言ってビタミン剤や栄養剤を飲み、

若い時からの便秘で薬を飲み続け、


病院から処方される何種類もの薬とサプリや栄養剤でお腹がいっぱいになりそうな毎日。


90歳を過ぎて、

腎臓の病気で入院した時、


詳しい血液検査をしてくれて、

リュウマチ性筋痛症もあると診断されて、

薬が出された。


それまで痛い痛いは大袈裟だと思っていたが、

痛いのも病気だったと知った。


その薬を飲み出すと、

痛みが無くなり夜もぐっすり眠れるようになったと喜んでいた。


ただし、

その薬は副作用があって、

血管がもろくなるそうで、

薬局で薬をもらう度、

この薬は長く飲まない方がいいのですがね。と言われた。


姑は93歳で尿が出なくなり、

お腹も痛くなり、

膀胱癌の疑いで入院した。


93歳の高齢で、

検査で体力を失うより、

痛みを緩和するしかないと言う。


病院のベットで、

痛い痛い、

早く迎えに来てくれと泣き叫ぶ。


痛み止めも効かなくなり

最後の手段のモルヒネで眠ったまんま亡くなった。



母は認知症で皮膚癌だった。


足に癌が出て腐り始めて、

認知症の人に全身麻酔を使うとそのまま目が覚めない確率が高いと言って、

局部麻酔で何人もの人で母を押さえ込み、

患部を切除したそうだ。


その後、

首に癌が出て、

それも同じ方法で取り除いたとか。


認知症の母は大勢の人に押さえ付けられて、

訳も分からずただ押さえ付けられた恐怖で、

大暴れをしたらしい。


私が現場に居たら、

死んでもいいから全身麻酔を使って下さいと言いたかった。


コロナ禍で母は老衰で97歳で独りで逝った。



ぴんぴんコロリが世の中で何人居るだろう。


不老不死を望む人はそんなに長く生きて何をしたいのだろう。


私も70歳を過ぎて、

すでに身体のあちこちが痛い。


もっと年を取ったら、

既に始まっているかも知れないが、

身体の組織が徐々に壊れて

痛い苦しいが始まるかもと思うと、


安楽死という選択が当たり前のようにできる世の中になっていればいいと思う。

新人なのに

曇り。


今日は休み返上。


2人体制の時、

工場に移ったKじいさんが、

工場での揚げ物が終わった後、

手伝いに来てくれるが、


Kじいさんも休みで2人体制では、

しかも、お局様と80過ぎたKばあさんだと、

お局様に負担がかかりすぎて、

Kばあさん自信も自分が何も手助けできないと落ち込んでしまうから、


とりあえず、

Kじいさんが休みの日は3人体制でする事になった。


昨日休みだったKばあさんはその事を知らなかったから、

朝、出勤してきて、

休みのはずの私の姿を見てたいそう喜んでくれた。



最近職場は年寄り2人とお局様の3人で和気あいあい。


それは3人に関わる共通の敵ができたから。


30歳過ぎの工場勤務の若いあんちゃんDだが、

横柄で誰彼かまわずキツイ口調でとがめる。


惣菜会社の工場長の息子だけれど、

社長や専務より、

工場長が居なければ会社が回らないような立場。


母親が偉ければ自分も偉いと思っているみたい。


そもそもこのD、

店長が亡くなった後、

仕事を始めた。


工場で揚げ物をしたり、

荷物を運んだり、

配達をしたり。


総菜屋の誰よりも新人なのに、

俺様が言う事は絶対。みたいな。



今朝もスーパーの惣菜は、

あんちゃんDの悪口から始まった。


共通の敵が居れば、

女の職場でも安泰。