七十路日記

日々の思いつき独り言

養母の心の底

今日は雨。


先日夫とゴルフに出かけたSさんの母親が、

ゴルフから帰って来てすぐに病院から電話が入ったそうな。


その日の内に亡くなって、

今夜がお通夜。


昨日夫が仕事から帰ってきてから、

ふたりで枕線香をあげさせてもらいに行った。


92歳で亡くなったおばあちゃん。


やっぱり悲しみは無く、

30分ほどの滞在の間、

笑いが絶えなかった。



今朝方2時半にトイレに起きて、

そのまま眠れなかった。


私の場合、

眠れない事に苦痛は感じない。


昔から、

妄想を張り巡らして、

結構楽しめる。


眠れないのはたまにしかないからかも知れない。


最近は妄想ではなくて、

昔の事を思い出す。


昨夜はSさんのおばあさんが亡くなったので、

姑の事が思い浮かんだ。


夫は3人姉弟の末っ子長男。


大事に育てられたので、

甘ったれの自己中になっても当たり前だ。


姑は話好きだった。


自分の生い立ちや、

満州に親子で渡って苦労した事や、

戦後命からがら日本に帰ってきた事など、


耳にタコができるほど繰り返し聞かされた。


義理の長女は、

姑の姉の子で、

両親を亡くした義長女を中学生の時に引き取って養女にしたそうな。


義長女は良くできた人で、

隣町に嫁いだが、

我が家には仏壇や位牌は無かったが、

盆正月はもちろん、

春秋のお彼岸や、

母の日には必ず我が家に顔を出し、

実の子以上に姑との親子関係を大事にしてきた。


舅が50代の頃、

腎臓癌の摘出手術で入院する時、

看護師さんから家族構成を聞かれた姑は、


即座に「ふたりです。」と答えた。


傍にいた私は内心驚いた。



年月が経ち、

舅が長期の入院をする時、

別の病院でも家族構成を聞かれて、


ここでも「子供はふたり」と答えた姑。


姑も80歳は超えていた。


私が看護師さんに、

連絡をするための家族構成ですよね。と聞き、


姉がもうひとり居ます。


と言って義長女の連絡先も教えた。


あんなに「かあさん、かあさん、」と大事にしてくれる人を、


お正月にはお年玉を、

母の日にはお小遣をくれるたったひとりの子供なのに、


姑の頭の中の義長女は自分が生んでない養女だった。



義長女は64歳で肺癌で亡くなった。


義兄から、

葬式では舅姑の長女として扱わせて下さい。と頼まれたのに、


人望のあった義姉の為に沢山の人が参列してくれて、


姑にも挨拶にきてくれたのに、


姑は、


あの子は私の姉の子で、

私が引き取って育てた。と訳の分からない事を言ってた。


義長女は亡くなっても姑の子供にはなれなかった。


姑は亡くなるまで、

いや、

死んでも自分の子供はふたりだけと思っているに違いない。